わが国の国歌「君が代」
世界にも類を見ない歌詞と旋律
諸説ある中で、国歌の生誕は福岡にありと耳にして、調べてみました。
この歌の詩は、十世紀につくられた古今和歌集と和漢朗詠集に在った歌が基とされていると言うことです。
古今和歌集の歌詞は次の通りです。
古今和歌集第七 賀歌343 題知らず 讀人知らず
我が君は 千代にやちよに
さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで
それではこの歌はどこで作られたか。
推説 その①
九州の筑紫、糸島・博多湾岸で作られた歌であると言う説。
それは現在の福岡県である筑紫の字地名や神社そして祭神が読み込まれているからと言う説です。
字地名である千代(博多湾は八千代)、糸島の細石神社、井原(いわら)遺跡・井原(岩羅)山、桜谷若宮神社の祭神である苔牟須売神があります。
これだけ歌の中にあれば偶然の一致とは言えないと言うことです。
推説 その②
志賀島の志賀海神社で行われる山誉め祭りの神事の中で、袮宜(ネギ)の方々により語られ、伝えられて来たものに寄る説。
神事そのものは村人の中の選ばれた人々である袮宜と神主で執り行われます。
この祭りの神事の最後に船上を想定した筵(むしろ)敷の場で櫂を持って行われる神事の中での台詞が、
君が代(我が君)は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで
・・・
あれはや あれこそは我君のめしのみふねかや
・・・
志賀の浜長きを見れば幾世経(へ)ぬらん
香椎路に向いたるあの吹上の浜千代に八千代に
・・・
今宵夜半につき給う御船こそ、たが御船になりにける
あれはやあれこそや安曇の君のめしたまふ御船になりけるよ
・・・
だと言うことなのです。
どちらの説も、君が代の源流は福岡にあるのではないかと思わせてくれます。
それを踏まえて、以下の動画をご覧ください。
「君が代」がもっと好きになるかも知れません。
世界にも類を見ない歌詞と旋律
諸説ある中で、国歌の生誕は福岡にありと耳にして、調べてみました。
この歌の詩は、十世紀につくられた古今和歌集と和漢朗詠集に在った歌が基とされていると言うことです。
古今和歌集の歌詞は次の通りです。
古今和歌集第七 賀歌343 題知らず 讀人知らず
我が君は 千代にやちよに
さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで
それではこの歌はどこで作られたか。
推説 その①
九州の筑紫、糸島・博多湾岸で作られた歌であると言う説。
それは現在の福岡県である筑紫の字地名や神社そして祭神が読み込まれているからと言う説です。
字地名である千代(博多湾は八千代)、糸島の細石神社、井原(いわら)遺跡・井原(岩羅)山、桜谷若宮神社の祭神である苔牟須売神があります。
これだけ歌の中にあれば偶然の一致とは言えないと言うことです。
推説 その②
志賀島の志賀海神社で行われる山誉め祭りの神事の中で、袮宜(ネギ)の方々により語られ、伝えられて来たものに寄る説。
神事そのものは村人の中の選ばれた人々である袮宜と神主で執り行われます。
この祭りの神事の最後に船上を想定した筵(むしろ)敷の場で櫂を持って行われる神事の中での台詞が、
君が代(我が君)は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで
・・・
あれはや あれこそは我君のめしのみふねかや
・・・
志賀の浜長きを見れば幾世経(へ)ぬらん
香椎路に向いたるあの吹上の浜千代に八千代に
・・・
今宵夜半につき給う御船こそ、たが御船になりにける
あれはやあれこそや安曇の君のめしたまふ御船になりけるよ
・・・
だと言うことなのです。
どちらの説も、君が代の源流は福岡にあるのではないかと思わせてくれます。
それを踏まえて、以下の動画をご覧ください。
「君が代」がもっと好きになるかも知れません。
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