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第二期 向陽義塾

2015年03月28日
今年度の向陽義塾について。

今年度は、一年を通じて「-仁- 日本人の心」をテーマに多種多彩な講師をお招きして学びを進めてゆきたいと思います。

前回同様、論語や陽明学による「心」の学びに、近代歴史やその時代を生きた先人たちの生き様を通じて、今あるべき日本人の心を学んでゆきたいと思います。

第一回目は、橘一徳先生・白駒妃登美先生による講義。
タイトルもズバリ「歴史を動かした愛のかたち」でお願いしています。今期、第1講ということで、参加費は1000円です!

どのような内容が聞けるかは、当日のお楽しみということで・・・


4月18日(土)
20:00~22:00
参加費:1000円
場所:隻流館道場 福岡市博多区上呉服町3-3

◎講師紹介◎

橘一徳先生には、第一期向陽義塾で『論語』を一年間教えていただきました。
『論語って難しいものだと思っていた』人が、来てよかった、先生でよかった!と口をそろえて言った一年間の講義。簡単なことから気づきを得るという、学ぶ姿勢がなければ難しいと感じてしまう学問。今年度は論語から派生した陽明学を中心にお話していただきます。
ただし、今回も昨年度に引き続き、講義を受ける姿勢ではなく、講義内容について討論して自分の中に落とし込むという気持ちで来てください。

橘一徳<たちばないっとく>プロフィール
大学在学中に作家の山本七平氏(元文部科学省教育審議会会長、「論語の読み方」「聖書の常識」「徳川家康」など著書多数)に師事し西洋・東洋思想のイロハを学ぶ。特に山本氏からは「聖書」と「論語」を対比させながら学ぶことで西洋思想と東洋思想の真髄に至ることを教授させられ、その後独自に中国哲学・日本の思想・歴史を研究する。林田明大氏を通して出会った陽明学を、後に師事した伊勢修養団の中山靖雄氏の学びを通して生活の中に生きた陽明学として腑に落とすことができた。女性経営者の草分けであり「江戸しぐさ」の語り部の越川禮子氏や陽明学研究科の林田明大氏の応援を受け陽明学を一人一人の自己実現はもちろん現代のあらゆる分野に対応しようと研究・実践、そしてその普及に努める。また、現在日本の伝統教育(江戸期の教育)に現代科学(脳科学)の光を当て、幼年・青年期教育メソッドとして蘇らせた井口潔(九州大学医学部名誉教授、元日本外科学会会長の右腕として教育関係の方々と共に、日本の教育維新を進めている。

歴史好きはもちろん、歴史初心者や歴史が嫌いな人でも楽しめるお話です。絶望的な闘病生活、奇跡的な完治という経験から自分の使命を知ったという彼女の人生観を交えた素晴らしい講演は、いつのまにか引き込まれ、あっという間に終わっている。お話の魅力、そして会ったら必ずファンになる人間力と美貌を持つ白駒妃登美さん、今年度第一回目の講義にふさわしい講師に来ていただけることになりました。

博多の歴女 白駒 妃登美<しらこまひとみ>プロフィール
埼玉県生まれ、福岡県在住。
慶應義塾大学卒業後、大手航空会社の国際線乗務員として7年半勤務。その後結婚、出産を経て、福岡県を拠点に結婚コンサルタントの活動をしながら、「博多の歴女」として歴史講座を積極的に展開。
2012年、日本の歴史や文化の素晴らしさを国内外に広く発信する「株式会社ことほぎ」を設立。全国各地で講演活動に取り組んでいる。著書に『人生に悩んだら「日本史」に聞こう』(共著、祥伝社)がある。
2013年3月出版された新刊「感動する!日本史」(中経出版)も好評発売中。

二回目以降も、橘先生を核としてその道の専門家をお招きしてお話を伺ってゆこうと考えています。


言葉の意味・・・

2015年03月19日
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宮崎県を訪れた方ならご存知だろうか。
宮崎市の中心部北西の高台にある、平和台公園にある塔。
正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」。

この塔に刻まれているのが、秩父宮雍仁親王の書による「八紘一宇」の文字である。


wikipediaから引用させてもらうと、
八紘一宇(八紘為宇)
古代中国でしばしば用いられた慣用句を元とし、『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用し、縮約した語。
大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味である。

八紘、すなわち「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語として解釈されている。
一宇、すなわち「一つ」の「家の屋根」を意味している。

津田左右吉の説によれば、「大和地方は服属したからさしあたって橿原に皇居を設けることにするが大和以外の地方はまだ平定しないから日本の全土を統一してから後に、あらためて壮麗な都を開き、宮殿を作ろう」というだけの意味だという。

日蓮主義者・田中智學は、自著の中で、「人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である。」と述べている。

どう読めるだろう?
私には、他国を攻撃・侵略してすべての国を日本の傘下に収めよ・・・と言っているようには思えないのだが。

昭和11年(1936年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊の「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり」と、引用されているのだがここでも日本の尊厳の表現として使用されているにすぎず、他国を侵略する宣言ではない。

しかし、戦後の軍人・政治家の発言を見ると、
田中上奏文は、東京裁判に於いて、「八紘一宇の伝統的文意は道徳であるが、…一九三〇年に先立つ十年の間…これに続く幾年もの間、軍事侵略の諸手段は、八紘一宇と皇道の名のもとに、くりかえしくりかえし唱道され、これら二つの理念は、遂には武力による世界支配の象徴となった」と述べている。
文部大臣松永東は衆議院文教委員会で、「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります。」と発言した。
総理大臣中曽根康弘も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった。」と説明した。
政治的利用を認める発言も見られる。

一方で、
上杉千年(日本教師会代表)は、「八紘一宇の精神があるから軍も外務省もユダヤ人を助けた」とする見解を示していり、欧州での迫害から満州や日本に逃れてきたユダヤ人やポーランド人を救済する人道活動につながったとの評価がある。と述べている。

何やら思わぬ形で見直されている「八紘一宇」
皆さんも、この機会に言葉の意味、使用された背景、当時の人の想いを噛み締め、古人に寄り添ってみてはいかがでしょうか。

向陽義塾

2015年03月17日
一年に亘る学びの場、向陽義塾(第一期)が終了した。

主催者として
皆さんに納得行く学びを提供できただろうか・・・
関係者に迷惑をかけていないだろうか・・・
価値のある学びになっただろうか・・・

心配や不安なことばかりである。

しかし、塾生として
多くの人と出会えたことに感謝!
論語に対する見方が変わって学びやすくなったことに感謝!
意見交換ができ、自分の引き出しが増えたことに感謝!

感謝することばかりである。

現在、向陽義塾(第二期)の企画を取り急ぎ行っています。
決定し次第、この場にてお知らせいたします。
奮ってご参加ください!!!!