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言葉の意味・・・

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宮崎県を訪れた方ならご存知だろうか。
宮崎市の中心部北西の高台にある、平和台公園にある塔。
正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」。

この塔に刻まれているのが、秩父宮雍仁親王の書による「八紘一宇」の文字である。


wikipediaから引用させてもらうと、
八紘一宇(八紘為宇)
古代中国でしばしば用いられた慣用句を元とし、『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用し、縮約した語。
大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味である。

八紘、すなわち「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語として解釈されている。
一宇、すなわち「一つ」の「家の屋根」を意味している。

津田左右吉の説によれば、「大和地方は服属したからさしあたって橿原に皇居を設けることにするが大和以外の地方はまだ平定しないから日本の全土を統一してから後に、あらためて壮麗な都を開き、宮殿を作ろう」というだけの意味だという。

日蓮主義者・田中智學は、自著の中で、「人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である。」と述べている。

どう読めるだろう?
私には、他国を攻撃・侵略してすべての国を日本の傘下に収めよ・・・と言っているようには思えないのだが。

昭和11年(1936年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊の「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり」と、引用されているのだがここでも日本の尊厳の表現として使用されているにすぎず、他国を侵略する宣言ではない。

しかし、戦後の軍人・政治家の発言を見ると、
田中上奏文は、東京裁判に於いて、「八紘一宇の伝統的文意は道徳であるが、…一九三〇年に先立つ十年の間…これに続く幾年もの間、軍事侵略の諸手段は、八紘一宇と皇道の名のもとに、くりかえしくりかえし唱道され、これら二つの理念は、遂には武力による世界支配の象徴となった」と述べている。
文部大臣松永東は衆議院文教委員会で、「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります。」と発言した。
総理大臣中曽根康弘も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった。」と説明した。
政治的利用を認める発言も見られる。

一方で、
上杉千年(日本教師会代表)は、「八紘一宇の精神があるから軍も外務省もユダヤ人を助けた」とする見解を示していり、欧州での迫害から満州や日本に逃れてきたユダヤ人やポーランド人を救済する人道活動につながったとの評価がある。と述べている。

何やら思わぬ形で見直されている「八紘一宇」
皆さんも、この機会に言葉の意味、使用された背景、当時の人の想いを噛み締め、古人に寄り添ってみてはいかがでしょうか。



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