9月23日
「私」と「個」と「公」
ここ最近、私がずっと書きたかった内容で、何度も書こうと思いながら文章としてまとめきれなかった事。。。
この「私」と「個」と「公」について拙いながら書いてみようと思う。
長くなっては読みづらいので、出来るだけ簡潔に書こうと思うが・・・
賢明な皆様が文脈、行間を読みとって頂ければ有り難い。
ここ数年?十数年、「個」を大事にするような教育がなされ、「個」を見つめるセミナーやワークが溢れるようになった。
この「個」を見つめる事に異論はない
がしかし、「個」と「私」の区別がつかないものが多いと思う。
「私」に走れば「公」は蔑になり、この日本が古くから大切にしてきた精神的支柱を失っていくようでたまらなくなることが有る。
「個」いや、「己」を内観することによって、己の使命天命を得る事はその人の人生にとって素晴らしい事である。
その使命・天命が「私」に向かうのか・・・「公」に向かうのかだ・・・
「私」に向かえば小さくまとまってしまうであろうし、この日本は我々が望むべき世界とはならないであろうと考える。
人には無限の可能性があるとよく言うが、それには条件がある。。。
「私」に向かうのか、「公」に向かうのか・・・だ。
ここ最近、私がずっと書きたかった内容で、何度も書こうと思いながら文章としてまとめきれなかった事。。。
この「私」と「個」と「公」について拙いながら書いてみようと思う。
長くなっては読みづらいので、出来るだけ簡潔に書こうと思うが・・・
賢明な皆様が文脈、行間を読みとって頂ければ有り難い。
ここ数年?十数年、「個」を大事にするような教育がなされ、「個」を見つめるセミナーやワークが溢れるようになった。
この「個」を見つめる事に異論はない
がしかし、「個」と「私」の区別がつかないものが多いと思う。
「私」に走れば「公」は蔑になり、この日本が古くから大切にしてきた精神的支柱を失っていくようでたまらなくなることが有る。
「個」いや、「己」を内観することによって、己の使命天命を得る事はその人の人生にとって素晴らしい事である。
その使命・天命が「私」に向かうのか・・・「公」に向かうのかだ・・・
「私」に向かえば小さくまとまってしまうであろうし、この日本は我々が望むべき世界とはならないであろうと考える。
人には無限の可能性があるとよく言うが、それには条件がある。。。
「私」に向かうのか、「公」に向かうのか・・・だ。